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2020年1月6日月曜日

51. 現代力学的自然観の夜明け前 (1)

ところが、この古典力学的世界観はすぐにほころび始めます。それが「量子論」の誕生でした。量子論と言えば、一般雑学書では、まず「量子論」の特徴である波動性・粒子性の二重性の不思議さが採り上げられますが、それにはもちろんきっかけがありました。それが「空洞放射」の問題でした。それは20世紀がまさに始まろうとする矢先の19世紀末のことでした。

19世紀末、人類、特に、ヨーロッパを中心とする西洋人たちには、市民革命および産業革命による近代自我の確立に並行して、古典物理学も完成しようとしていました。ニュートンらに始まりハミルトンらに終わる力学、マクスウェルらの電磁気学、ボルツマンらの熱力学など古典物理学における主要な理論はほとんど出揃ってしまい、最早すべてのことは科学によって解明することができるかのようにさえ思われるようになっていました。すなわち、万能の神の位置に、近代理性を持った人間が科学という万能の力を手に入れたかのように思える時代でした。

そこに「待った!」をかけてきたのが量子論でした。量子論は、まずは「黒体放射」の問題を解決するために登場してきました。面白いことに、この問題は「鉄」と大いに関係がありました。イギリスの産業革命に追いつけ追い越せと、ドイツの製鉄業では、高温で効率よく鉄を溶かして作るために、溶鉱炉内の温度を経験や勘に頼ることなく、正確に知ることが必要でした。
ふつう物質を加熱すると、上げていく物質の温度に応じて、違う色の光、つまり、波長の異なる電磁波を出します。これを「熱放射」または単に「放射」と呼びます。
そのために、どれくらいの温度で熱せられたものがどんな色の光をどれだけ出すかということが調べられました。そして、何度も実験と計測が繰り返され、温度と光の関係を示すデータが集められましたが、そのデータを意味づける原理がどうにもうまく説明できません。
そこで、色のついた物体では特定の波長の光を吸収するので、真っ黒な物体ならすべての波長の光を吸収するため、温度と光の関係を正確に示すだろうと考えられた理想的な物体が「黒体」でした。この黒体は当時現実には存在しないものでしたが、十分に大きな空洞を考えれば、すべての光を遮断し、しかもそこに十分小さな穴を開ければ、その穴から入った光は再び出て来ないものと考えられます。つまり、こうした空洞は黒体とみなせるわけです。このように、黒体放射の問題は、実際には「空洞放射」の問題として扱われます。実際、この空洞放射の実験として、鉄の箱を用意し、それを加熱していくと、温度に応じていろいろな光を出します。つまり、温度ごとの光のスペクトルが調べられますので、この測定結果がデータとして、空洞放射における温度と光の関係を示すものになりました。
この関係を、まず、イギリスのレイリーとジーンズが、続いて、ドイツのウィーンが以下のような放射公式にまとめました。

 …(51-1)
…(51-2)
レイリー・ジーンズの放射公式は振動数の大きいところでは一致し、振動数の小さいところでは一致せず、逆に、ウィーンの放射公式は振動数の小さいところでは一致し、振動数の大きいところでは一致しませんでした。つまり、空洞放射を説明する式にはなりませんでした。そこで、登場したのが、プランクです。
プランクは、ウィーンの放射公式の分母から1を引いた式
…(51-3)
を用いましたが、こうすると前述の空洞放射の実験結果と完全に一致しました。このように、量子論は「空洞放射」という経験的事実に対する問いかけから始まったのです。

ここで、改めて、以上の3つの放射公式を比べてみましょう。見やすくするために、
とおけば、
となりますから、
と書けます。






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