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2019年12月31日火曜日

50. 古典力学的世界観の完成 (3)


ポアソン括弧」というものを定義しておけば、「ハミルトンの正準方程式」はもっとすっきりした形に変形できます。すなわち、ポアソン括弧:
    …(49-1)

を定義しておきますと、任意の物理量(関数Aの時間変化は、全微分の定義を用いて、

   …(49-2)

より、ポアソン括弧による運動方程式 : 
…(49-3)
と書けます。ポアソン括弧の定義より、
 (49-4)
(49-5)
が成り立ちます。また逆に、式(49-3)より、式(48-5)のハミルトンの正準運動方程式も導出できます。式(49-4)を日本語で言い換えますと、

「正準双対となる位置と運動量の組のポアソン括弧は1となるが、それ以外は0となる」

ということです。これが、量子力学のプランク定数の世界において語られるとき、「位置と運動量の不確定性関係」となります。

(49-3)において、終端を変数にして、位置と時間で微分すれば、
 …(49-6)

となります。ここで、ハミルトニアンが顕わに時間に依存しない保存系の場合、
…(49-7)
となりますから、
…(49-8)
とも書けます。式(49-8)を日本語で書きますと、

作用の位置微分は、+運動量      作用の時間微分は、-エネルギー

となります。これは、前述の「作用=運動量・位置-時間・エネルギー」からも理解できるでしょう。

こうして、物理学の一番の王道である「力学」は、ラグランジュやハミルトンらの功績により、「最小作用の原理」(正確には、ハミルトンの原理)に基づく解析力学として完成したかに見えました。つまり、すべての物理現象は、最早古典物理学的な文脈の中で、明確に分析でき、論じられるものだと考えられるようになりつつありました。

この考え方は、この現代を生きる私たちの意識基盤のかなり深いところでも作用しているように思います。どういうことかと言うと、わたしたちの考え方の基礎をなしているのは19世紀までの人類の功績とも言える近代自我の発達とともに整備されてきた古典物理学に基づく世界の捉え方です。物事は一方向に捉えられ、再生産を繰り返し、同じ現実を幾度も再生するといった物質的世界観とも言えるでしょう。

古典物理学の発達に一役買った19世紀の物理学者・ピエール=シモン=ラプラスという物理学者が自著の中でこんなことを言っています。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつ、もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
ラプラス『確率の解析的理論』1812

要するに、世界に存在するすべての原子の位置と運動量を知ることができるような知性がもし仮に存在すれば、古典物理学の考え方の下に原子の時間発展を計算できるから、その後の世界がどうなるかをすっかり知ることができるだろうというわけです。これは驚くべきことでした。このような架空の超越的存在をラプラスは単に「知性」と呼びましたが、後に「ラプラスの悪魔」と呼ばれるようになり、有名になりました。これこそが、人間が神に取って代わる存在となる位置を見出したと思えた瞬間でした。

このような物の見方は「決定論的世界観」と呼ばれます。物事はすべて最初から決まっているという考え方です。これはある意味、時の権力者にはある意味都合のいい考え方かもしれません。世界は今配置されている物事の延長線上に固定的に決定的に語られ、そこからのぶれはおそらくたいして起こらないだろうという、永遠性を信じ込んでいるからです。でも、実際には少しずつのぶれによって、その時点で確固としていたと思われた体制も崩れていくことをも、この決定論的世界観は含んでいるわけですが、時の権力者は自分に都合のいい見方でしか物事を見ようとしません。とにかくこうした決定論的因果律が、近代の基盤をなすようなごく自然な物の見方・捉え方となっていったわけです。
このような物の見方・捉え方を、ヌーソロジーでは「人間型ゲシュタルト」と呼んでいます。ある意味、今の人間が感じている閉塞感だとか不自由さといったものは、この「人間型ゲシュタルト」という空間認識によって引き起こされていて、そうした空間に投げ込まれている状況から脱出しようと持ちかけているわけです。

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