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2019年10月23日水曜日

42. 世界観の変遷とヌーソロジー (1)

ヌーソロジーの大掛かりな精神の運動の仕組みの中で、物理学による自然観の遷移を眺めるというのは、面白い反面、なかなか難しい作業だと思います。それは、私たちの意識が、結果としての時間、つまり、歴史という道筋の上で物事を捉えようとするからです。しかし、私たちはこの時間感覚を簡単には拭えません。
私たちがふだんそれこそ無意識に意識しているその意識の由来は、まずは認識のレベルでは次元観察子ψ,ψ*ですが、それらはさらに上位の観察子である大系観察子Ω,Ω*が源泉となります。そこで、直接的ではないかもしれませんが、大系観察子Ω1~Ω14が対応するところの惑星レベルの精神構造がもたらしてくる意識の流れというものから見てみましょう。その最も端的な現象は人類の天体発見のイベントとして現れてきているのではないでしょうか。そこで、最初に、近代以降の天体発見のメイン・イベントを眺めてみましょう。

(1)古典物理学の発展・完成の頃
17世紀:木星(Ω7)、土星(Ω8)の衛星(=(地球以外で)初めての惑星の衛星)発見
18世紀:天王星(Ω9)発見(1781)
19世紀:海王星(Ω10)発見(1846)
(2)相対論的物理学、量子物理学の発展の頃
20世紀:冥王星(Ω11)発見(1930)
21世紀:第10惑星(Ω12)候補続々発見
 →冥王星、準惑星に降格(2006)

これらを背景にして、半田広宣氏のブログ「cave syndrome」の200932日の記事「ヒトの精神構造としての大陽系(2)」を読んでみると興味深いことが見えてきます。「真実の人間の思形と感性」と呼ばれる精神構造の下に、私たちが歴史と称する意識空間が浮かび上がってきます。以下にその一部を抜粋してみましょう。

●天王星=Ω9………真実の人間の思形(原父 : コクマー)

ヒトの精神が対化(Ω7とΩ*7=木星の対化という言い方をする)の等化への方向性を持つことにより、Ω7がΩ8=付帯質への交差として働きかけてくるときの方向性の力。人間の意識の内面性(人間の性質=赤い矢印の流れ)を作り出して行く働きを持つ。言語の生成を行っていくところ。Ω9はΩ2(ψ8)→Ω4(ψ10)→Ω6(ψ12)→Ω8(ψ14)というように、人間における偶数系観察子の次元を上位から交差して行き、人間の意識の内面性(赤い矢印の流れ)の発達を促して行く。
Ω2   (ψ 8)……………肉体構成としての転換作用(原始部族)
Ω4   (ψ10)……………想像界的文明(母系的、多神教的文明)の生成
Ω6前半(ψ12前半)………近代自我の目覚め、市民社会の形成等。
Ω6後半(ψ12後半)………ワンワールド体制に向けての国家の闘争
Ω8   (ψ14)……………デジタル空間。データベース空間。人間の意識の覚醒(顕在化)の反映。進化を覚醒できないまま付帯質の内面へと遷移させられていく人間の意識の流れ―アトランティス的なもの。

●海王星=Ω10………真実の人間の感性(原母 : ビナー)

天王星が持った方向の反映として働く真実の人間における変換性。天王星とは方向が全く逆なので、海王星は人間の意識の外面性の発展を促進する働きを持たせられている。Ω10はΩ1(ψ7)→Ω3(ψ9)→Ω5(ψ11)→Ω7(ψ13)という順番で奇数系観察子の領域を交差して行き、歴史における人間の意識の外面性(反性質 : 青い矢印の流れ)働きの発達を促進させていく。
Ω1   (ψ 7)……………知覚を送り出す働き
Ω3   (ψ 9)……………象徴界的文明(父系的、一神教的文明)の生成
Ω5前半(ψ11前半)………科学主義の出現。
Ω5後半(ψ11後半)………現象学、量子論的世界観の出現。
Ω7   (ψ13)……………人間の意識の最終構成。ヌーソロジー的認識の発現。進化を覚醒していくための人間の意識における元止揚(顕在化におけるψ*7)の生成。マルクト=Ω1を完成させ、元止揚=地球の顕在化を導くための力となる。—ムー的なもの。

(半田広宣ブログ「cave syndrome」「ヒトの精神構造としての大陽系(2)」
http://www.noos.ne.jp/cavesyndrome/?p=2476)より)

1 真実の人間の思形と感性

20191023upload時点では
「ヒトの思形と感性」という表記の方が正しいと思われる)
cavesyndrome「ヒトの精神構造としての大陽系(2)」より)

さて、ここでもう一つヒントになるものが「言語」です。「言語」というものは度々、人間の意識およびその進化・発展と関連付けて語られたりします。実際、「言語」と一口に言っても、国や民族によって多種多様ですし、そもそも、それ以前のレベルでいくつか種類があります。例えば、鎌田東二氏の『記号と言霊』の「記号論と言霊論」では、こんなことが書かれています。少し長くなりますが、引用させて頂きましょう。


この立場からすれば、日常世界は根源的場の頽落し、固定化され、制度化された世界にすぎず、そこから脱出し、超越することによって再び根源的な場に直接することが重要な実践的課題となる。例えば、記号生成の源泉である欲動場が、母の身体としての想像界における「原記号作用」から、父制制度・言語秩序としての象徴界における「象徴作用」へと硬直化していく記号生成のメカニズム、つまり「意味形成性」のプロセスとセミオティックへの還入の動態を解明したクリステヴァの詩的言語論は、その用語のわかりにくさはともかく、この立場の記号論的特性を見事に浮かびあがらせている。前者の立場が、デカルト的コギトないし初期フッサールの超越論的主体の定立という独我論的アポリアを相互主観性の観点から乗り超えようとはしたものの、未だ定立的主体(エゴ・コギト)から離れられないのに対して、後者の立場は、そうした定立的主体以前の無意識の記号生成の発生論的プロセスを視野に収めることによって、世界が成立してくるダイナミズムをより広い地平で問題にすることを可能にする。それは、宗教言語の問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれる。
この二つの立場は、互いに対立する理論的立場というよりも、位層認識の差異に基づくものであるから、世界は、根源的場日常世界(一次世界)詩的世界・宗教世界・科学世界(二次世界という層)的構造を成しているものと考えることができるだろう。そして、「二次世界」は、「一次世界」の自明性を揺るがすような裂け目を体験し、その深奥に「根源的場」があることを直覚的なイメージで視てとる時に、象徴化され、あるいは概念化されて構成されるのである。一次世界としての日常世界が慣習化され、固定化された、公共性を持つ自明性の世界だとするなら、詩的世界や宗教世界や科学世界、すなわち二次世界は、そこからひとまず独立した固有の自律的世界である。その意味で、これらの世界は日常世界を基底世界とする高次世界だと言えよう。しかし同時に、それらが日常世界に依拠しつつもまた自律的な固有世界を構成している限り、そこでの「体験」は、日常世界定立以前の「根源的場」を垣間見ることをも可能にしている。むろん、これらの高次世界は制度化されると同時に、徐々に日常世界に沈澱し、自明なものとなり。両者の境界が曖昧になっていくプロセスはある。しかし、そこにはやはり固有の論理、存在様式がある。》(鎌田東二『記号と言霊』p.279p.280より

また、こう書かれています。

詩的言語が「含意性」を己れの能記(シニフィアン)とするような言語、つまり、能記のうちにさらに能記と所記(シニフィエ)が内含されるような言語だとすれば、それに対して、科学言語は、詩的言語と同様に言語場の制約から独立し、「明示性(デノテーション)」を己れの所記とする、所記のうちに二重に能記と所記とを含む言語である。科学言語は「指示対象性」と厳密な「線的構造」を持ち、対象世界の量的記述に奉仕する数学的言語を頂点とする。詩的言語が意識的に語の音表象や「多義性」を利用しながら、「もう一つの現実」を垣間見させようとするのに対して、科学言語は意識的に語の「一義性」を確定し、厳密な概念規定によって「対象的実在世界」の構造を記述し認識させようと機能する。前者は想像力によるイメージの噴出として、後者は理性による概念・理論の定立として各々固有の表象世界を構成する。このような詩的言語や科学言語に較べて、宗教言語はいったいどのような特質を持つのだろうか。
 第一に、宗教言語は日常言語と同様に、言語場による強い制約を受ける。したがって、詩的言語や科学言語が主として意味論・統辞論レベルの問題領域で捉えられるのに対して、宗教言語においては何よりも語用論レベルが最重要となる点。第二に、それと関連して詩的言語や科学言語が言語主体を捨象してもテキストとして自立しうるのに対して、宗教言語においては本質的に語る主体を抜きにしては考えられない。つまり、語り手と受け手と場との相互交流の中で初めてメッセージが定まるために、メッセージ内容は必ずしも一定不変ではなく、交流の過程で「変容」しうる。それゆえ、言語場の志向性が重要である点。第三に、宗教言語は、歴史的に成立して来た「根源的イメージ」の象徴化された形態に大きく制約されている点。(中略)第四に、宗教言語は、根源的イメージが言語形態化した「根源語」を秘儀的中核として、その周りを儀礼言語、教説言語、神学言語等が取り囲み、その外周が日常言語と境を接する同心円的構造を持つものとして了解できる点。(後略)
 宗教言語は、含意性への志向において詩的言語と共通し、明示性への志向において科学言語と共通し、さらには言語場の強い制約を受ける点で日常言語と共通する。しかしながら、言語場の制約を受けるとはいうものの、逆に新たに言語場を改変し、場の関係性を変換していく創造的な働きを持っている。このような「変換-再生機能」は、宗教言語の語用論的特質に基づくものだと言えよう。
(鎌田東二『記号と言霊』p.281p.283より

2 言語がなす世界観(鎌田東二『記号と言霊』より)

つまり、ごく大雑把に言えば、言語は下から「根源語」「基底言語」「高次言語」の三層構造をなし、「根源語」は根源的イメージ、「基底言語」は日常言語、「高次言語」は「詩的言語」「宗教言語」「科学言語」からなっており、詩的言語に近づくほど、多義性・含意性が強く、科学言語に近づくほど、一義性・明示性が強くなるというわけです

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