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2020年4月28日火曜日

79. ヌーソロジーにおける U (1) 解釈

ここで、ヌーソロジーにおける半田広宣氏のゲージ理論に対する解釈を載せておきましょう。

半田広宣氏の『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』第1部のP.233P.237にこんな記述があります。

電子の波動関数の裏側に隠された高次元の幾何学構造がおぼろげに見え出してからというもの、わたしの脳裏に去来する素粒子たちのイメージは全く別のものへと変容し始めていた。ミクロからマクロにわたる全時空を包括し、なおかつ、それらを幾重にも重ね合わせていく真のマクロ的宇宙に張り巡らされた意識空間のスピンネットワーク、わたしはそれこそが素粒子たちの本性に見えてきたのだ。ではもっとも基本的な量子、光子(電磁場)についてその解釈を試みていくことにしよう。

素粒子全般の描像を困難にしている根本の原因は、今まで何度か触れてきたように、それらが通常の対象とは違って、数学的には高次元的な存在としてしか記述できないという点になる。この「高次元」という内容が読者には分かりにくいと思うので、もう少し具体的に説明しておこう。

一般に物理学では、素粒子としての場φが定義されている時空Rの各点tに複素平面Ctがくっついているものと考える。そして、この場φ(t)Ctの一要素と見なす。このときの空間Ctは決して表には現れてこない仮想空間として扱われる。つまり、時空の各点には、わたしたちには知覚できないが、それが存在しないと素粒子の説明上はなはだ困るような別次元の空間が不可視のかたちで広がっているというわけだ。この種の空間を物理学者たちは〈内部空間〉と呼ぶ。しかし、ここで余分に与えられている空間は単なるユークリッド的なx,y,z方向のような次元ではない。例えば、〈内部空間〉に1次元を設けるということは数学的には時空上の各点tに複素平面Ctにおける円運動の自由度が1つ余分に与えられるということを意味する。つまり内部空間とは実数空間ではなく、虚数と実数が入り交じった複素数が暗躍する世界なのである。この意味で素粒子の場は単なる時空以上の高次元空間を持つと考えられているわけである。では、この高次元要素である内部空間が一体何を意味するものか、前節まで述べられてきた内容と対応させながら考えてみよう。」

図79.1 オイラーの公式と表相
(半田広宣『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.234より図9-11

まず、わたしたちが時空R上の任意の点1tを規定するとはどういうことだろう。それは簡単に言えば、ある特定の瞬間にある特定の位置を見るということである。これはオコツトが言うところの表相という概念に極めて似通っていることが分かるはずだ。
今、右図9-11(上の図8)のように、自己の外面における一つの表相をイメージしてみるとしよう。人間の外面における表相とは主体の質点と客体の質点を結ぶ線の中の空間のことだった。この下図では矢印3と矢印4が作る空間に相当する。この空間は対化として必ず人間の内面側にも表相を持っている。人間の内面における表相とは簡単に言えば、対象を挟んでその180度反対側に生まれている線の中の空間、つまり矢印12が形作る線的空間のことだ。矢印1の行き着く先は自己から見れば、当然、「対象の向こう側にある無限遠点」で連結している(前章の〈うしろの正面だァれ〉原理を思い出してほしい)。
つまり、主客一体という観点で、点という対象を空間上に設けるためには、その点対象の位置のみならず、その点を見るための観測者の位置、さらには、その点を真反対から見るような位置、さらにはその真反対から見た点の位置、という4つの要素が必要となるわけだ。人間の内面と外面という概念を考慮に入れれば、これらの4つの点によって連結されている空間(実際はこれこそがわたしたちがユークリッド的点と呼んでいるものの本質と考えるべきなのだが………)こそが物理学者たちが内部空間と呼ぶものではないかと考えられるのである。さきほど説明した複素平面Ctにおける円運動の自由度とは、表相においては、この空間における意識振動の自由度を意味する。つまり、観察行為を考慮した場合、単なるユークリッド的な点などといったものは、この空間には存在し得ないのだ。点とは何か――と問われれば、この表相という概念こそがその回答に最もふさわしい。」

79.2 大局的ゲージ変換
(半田広宣『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.234より図9-12

「では、点に対するこの新しい解釈を念頭において、ゲージ原理の基本となる変換群U(1)による場φの変換という概念について考えてみよう。
この変換は、下図9-12(上の図6.4)に示したように、それに付随する内部空間Ctにおいて、φ(t)をどの時空点においても一斉に同じ角度だけ回転させることに対応する。この操作は時空のあらゆる点で、それぞれに付随する内部空間Ctにおける回転の尺度を同じに取ることを意味するが、物理学ではこのような変換を大局的ゲージ変換と呼ぶ。この内容は今までの文脈から考えれば、変換群U(1)がすべての時空点、つまり、すべての表相において同等に作用するということである。では、すべての表相とはどういう内容を指すのだろうか。それは前章で述べたように、「あらゆる瞬間に、あらゆるところから、あらゆるところを見る」ということに他ならない。
これらのことから変換群U(1)が示唆する空間の正体が読者にも何となく見えてくるのではないだろうか。つまり、変換群U(1)が働いている複素平面Ctにおける円環の世界とは、90度ごとに連続した反転運動を行っている5次元空間の4つのパターンと同じものではないかということである。そして、実は、このような変換場が物理学においては電磁場とされるのだ。では、その本質とは一体何か。今まで述べてきた内容を考慮すれば結論は明らかだ。それは、すなわち、人間の内面と外面の意識を形成している場のことである。

電磁場(光)とは人間の意識が生み出されているところです
――シリウスファイル:19910805
電磁場(光)とは人間の意識が生み出されているところです
――シリウスファイル:19910805

(半田広宣『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.233p.237

少しだけ補足しておけば、この説明の中で、「大局的ゲージ変換」とは、素粒子物理学などで「大局的位相変換」あるいは「グローバル・ゲージ変換」と呼ばれる変換のことですが、この文章の流れでは、「大局的ゲージ変換」として登場するU(1)群が、そのまま電子間の「電磁相互作用」を説明する「U(1)ゲージ変換」のU(1)群であるような印象を与えています。これは少し誤解を伴う表現です。正確には、「電磁相互作用」を説明する「U(1)ゲージ変換」のU(1)群は、「局所的位相変換」あるいは「ローカル・ゲージ変換」つまり略して「ゲージ変換」と呼ばれるものとして登場すべきものです。
簡単に言えば、「グローバル・ゲージ変換」のU(1)群 
の位相θは時間および空間に依存しない「定数」ですが、「ローカル・ゲージ変換」のU(1)
の位相θは時間および空間に依存する「関数」です。「U(1)ゲージ変換」は「ローカル・ゲージ変換」であり、それゆえに「内部空間」に歪みが生じ、その歪みを調整するのが「ゲージ場」としての電磁場(4元電磁ポテンシャル)です。
ヌーソロジー的に解釈するなら、この「U(1)ゲージ変換対称性」を要請することによって生じる歪みを「電磁場」(光子)として調整する機能が、ψ9~ψ10(正確には、他者側のψ*9~ψ*10かな?)の「調整質」の機能ではないかと思います。その結果、凝縮化して、ψ3~ψ4としては光子がもたらされるのだと考えます。
もう一度振り返っておくと、電磁場の中を通る荷電粒子の運動量は、

日本語で書けば、(粒子の運動量)-(電荷)・(電磁ポテンシャル)

であり、第1項は並進運動量(線型運動量)ですが、第2項はその並進運動(平行移動)を妨げるようなものだと言ってもいいかもしれません。つまり、ある意味、スムーズな並進運動を邪魔するような存在、いわば、内部空間の曲率こそが、電磁場というゲージ場の強さを表しているわけです。
ヌーソロジー的解釈から言ってしまえば、そういった「世界」を歪曲する存在こそが「自己」という世界-内-存在なのではないでしょうか。




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