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2013年6月14日金曜日

7. なぜヌーソロジーを難しいと感じるのか?

さて、ヌーソロジー(旧・ヌース理論)関連の書籍やネット上のサイトをご覧になった方々の多くがよく口にするのが、「ヌーソロジーは難しい」ということです。

では、なぜ「ヌーソロジーは難しい」と感じるのでしょうか。いくつか挙げてみましょう。

○様々な専門分野の知識や情報が必要。

ヌーソロジー自体が多種多岐にわたっていろいろな分野のことを横断的に採り上げていく類のものである性質上、いろいろな話題の中で様々な専門分野の知識や情報が飛び交います。したがって、それらを採り上げている意味を理解しようとすると、どうしてもある程度そうした専門分野の知識や情報を、仕入れて自分なりに理解しておく方がいいのは確かです。

○特に、数学・物理学の数式や、哲学の難解な用語が巧みに使われている。

その中でも、「U(1)変換対称性」だとか「SU(2)変換対称性」だとか「スピノル」だとか、あるいはドゥルーズ=ガタリの「原始土地機械」だとか「資本主義機械」といった用語が、あちらこちらで出てきたりします。また、物理学関連の数式である「シュレディンガー方程式」なども登場します。こうした専門用語や数式は、自分の得意とする畑でなければ、確かに理解することは容易でないかもしれません。

○そもそもソースであるシリウス言語自体が難解!⇒これは、確かに!!!

でも、一番難しく感じるのは、そうした様々な専門分野の用語や数式よりも、むしろ、「シリウス言語」と呼ばれる独特の言語体系です。これは、元々、ヌーソロジーのソースとも言える、半田広宣氏と謎の意識体であるオコツトとの交信記録である「シリウス・ファイル」で用いられているものです。これは半田広宣氏ご自身も何十年もかかって解析し続けている言語体系であり、これを事細かく読み解くのは至難の業ではありません。

○cave compassやPSO回路といったモデルを用いた構造論が展開される。

そうした「シリウス・ファイル」をベースとして、自然科学と人文科学、さらには神秘学の統合を目指して組み立てられていったものが、「ヌーソロジー」(旧・ヌース理論)だというわけです。そこで展開される世界観を説明するために、いくつものモデルが用意されており、それが「cave compass」と呼ばれる円環状の羅針盤モデルだったり、それらの階層的構築物としての「PSO回路」だったりするのです。こうしたモデルの意味合いを理解することは、同時に、ヌーソロジーの世界観を構築していくことにつながっていきますが、このようなモデルを用いた構造論自体が苦手という方もいらっしゃるかもしれません。

そもそも、私たちは、ヌーソロジーをあまりにまじめにそのすべてをわかろうとしていないでしょうか。そのように、最初からすべてを完璧にわかろうとするのは、人間型ゲシュタルトの悪い癖だと言えるかもしれません。

それより、ヌーソロジーはとりあえずどの分野からでもいいから、まず「何となくわかる」ことから始めれば十分なのです。ヌーソロジー自体、いまだ学問として体裁を整え切れていない、まだまだ発展途上の学と言えますので、それほど厳密に考えすぎる必要はないのです。

したがって、自分が最初に「面白い!」と興味を持ったところこそが、あなた自身のヌーソロジーの始まりです。まずは、そういう気軽なところからアプローチするのがベターでしょう。とにかく、貪欲に一気に何もかもわかろうとしないことです。そうしてしまうと、せっかくのヌーソロジーの旨みをわかる前に、食傷気味になるかもしれません。

それより、もっとヌーソロジーは楽しめばいいのです。それこそがヌーソロジーの一番の醍醐味だと言えます。いろいろな矛盾点や整合性などを考えるのは、少しわかってきてからでいいでしょう。既刊の書籍である『2013:シリウス革命』という1000頁にも及ぶ超大作を一気読みすれば、その根底に流れる何とも言えない躍動感を感じることでしょう。その熱い胸の鼓動にも似た躍動感が何であるかを考えていくものこそが、ヌーソロジーだと言えるかもしれません。

4 件のコメント:

  1. 「完璧にわかろうとするのは、人間型ゲシュタルトの悪い癖」
    私はもろにコレです。

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    1. いいえ、zankiさんだけでなく、私もふだんは「完璧にわかろう」としてしまう性癖があります(笑)。

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  2. なるほど、φさんが繰り返しおっしゃっているようにヌースは未だ理論としても学問としても体裁をなしていない。だから勉強のような取り組み方自体が無理な話なんですね。共感できるところから接していくしかない。そもそもこれがホンモノであるかどうかは未だ誰にも、半田さん自身もわからない事。だってあれ以降、一度もオコツトにコンタクトしてこれであっているのか確かめたりできていないんですものね。だから半田さんがこれはエンターテイメントだって言ってるのは、逃げをうつための予防線ではなく本当に知的エンターテイメントとして取組み、そこから何か得られれば良い、得られるハズということだったわけですか。

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    1. 私自身も、ヌーソロジーの表相、つまり、見え姿はともかくとして、その底流に流れているものは何かしらの真相真理にはつながっていると思っているわけで、だからこそ、ここまで精力的に関わっているのだと思います。そういう意味では、たとえオコツトという存在自体が、コウセンさんの無意識層が作り上げたでっち上げであっても、私は構わないわけです。それより、ヌーソロジーで扱われている思考様式だとか、組み立てられていく思考の構築物の方に興味・関心があるわけです。例えばニュートンが胡散臭い魔術師のような存在であったとしても、発見した運動方程式が物理の基本原理となったように……。

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