さて、半田広宣氏は、次元観察子ψ5について、『NOOS LECTURE 2009-2010 Vol.6』の中で、こんなふうに説明しています。
「ψ5というのは、何かみなさんがモノを見たら、そのモノの中に入り込んでいます。もっと言うと、実は元々このψ5というのは全く不動のひとつで、まわりが回っていると思えばいいんです。どこに焦点を取ろうと、そこに必ずそこにあります。それを内面の方向で表現したのがこの図(図1)です。でも、この人(図1中の観測者)にとっては、絶えず「前」であり、これ(無限小球体)は全部同じものです。そういうカタチでこのモノの中に入り込んでいます。そしてこれは、モナドとして、長さがほとんど無限小(1/∞)の奥行きを持っているということです。」
そうすると、ある意味、ψ3の領域は、他者のまなざしによって、自己のまなざしによる光景が押し潰され、ミクロ領域に押しとどめられてしまい、光子を形成する力になっていると言えるでしょうか。そして、ψ5の領域は、そのミクロ領域、つまり、無限小球面の内部で背中合わせになっている、さらなる無限小球体としての電子やニュートリノ(又は、uクォークやdクォーク)を形成する力になっているという感じでしょうか。
図1 無限小球体とわたし
どうしてもこうしたイメージがつきまとってしまうのは、ヌーソロジー的には、私たちの意識が「人間型ゲシュタルト」というモノの内部に投げ込まれてしまっているからだということになります。ですから、こうした無限小領域のイメージは、「人間型ゲシュタルト」における描像というわけです。
ヌーソロジーの解釈によれば、この押し潰されてしまったミクロの単位尺度領域こそが量子力学や素粒子物理学が扱う「プランク定数」と呼ばれるものの世界です。
半田広宣氏は、続けて、『NOOS LECTURE 2009-2010 Vol.6』の中で、こんな説明をしています。
図2 内面における無限小の4次元球体の捉え方
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)
「一応、内面の感覚で身体(肉体)がここ(図2の対象中心の右横ずっと行ったところ)にあるとしましょう。目の前にモノ(図2の対象中心)があるとしましょう。ここ(図2の4次元方向の軸)はψ3だったところの軸です。そして、ぐーっとψ3を丸めて、今ここ(図2の∓∞)からひっくり返って、ψ5を形成して等化しているわけです。
だから、この図であえて表すと、身体(肉体)が不動の身体だと考えると、ここ(図2の∓∞)でこう回って(反転して)こう表面と裏面を等化したこの軸(図2の4次元方向の軸)の中にψ5が入っているという話をしているわけです。ですから、モノ(図2の対象中心)の向こうに無限遠点(図2の∓∞)があったら、そこには自分のここ(後頭部)があるということです。つながっているわけですから、自分の背中が見えているわけです。でも、そこは自分の背中ですから、そこに自分がいて、この世界(青い点線部分全体)さえ、ぎゅーっと縮められて、ここに面の厚みとして入っているということを言っているわけです。光速度空間の中では、それは1/∞の長さです。
おそらくこれは描像が非常に大変だと思いますが、関係性としてはもう自分が見ている視線を点に見て、その点の厚みだと思えばいいだけなんです。そして、こちら側(モノの背景面)がこう動いていると思えば、それは常に自分の「前」というところで形作られている構造で、これがψ5の正体であるという話になってきます。」
このような描像を描かせてヌーソロジーがやりたいのは、本当の自己と他者の場所(トポス)がどこにあるかということを獲得させることです。それが次の図です。
図3 無限小球体の中での背中合わせ
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)
これは、自己と他者について、ちょうど先ほどの図(図2)を2枚分重ねたような図になっています。これがヌーソロジーではお馴染みの「背中合わせの自己と他者」です。
図4 背中合わせの自己と他者
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)
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