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2019年10月7日月曜日

33. 人間の外面と内面――次元観察子ψ3~ψ4 (1)

まず、モノからモノの向こう側の伸びている方向は、いわば「見ている方向」であり、「奥行き」感覚をベースとするものです。一方、モノからモノの手前側に伸びている方向は、いわば、「見られている方向」であり、「幅」感覚をベースとするものです。この2つは根本的に違うものであると考えます。前者をψ3の半径、後者をψ4の半径と呼びます。
図1 次元観察子ψ3ψ4の球空間の半径線
cave syndrome「時間と別れる50の方法(16)2008/6/21より)

次に、このψ3の半径(モノからモノの向こう側の無限遠点まで)で球空間を描いたものと、ψ4の半径(モノからモノの手前側の無限遠点まで)で球空間を描いたものの違いを見てみましょう。
2 ψ3ψ4の球空間の反転関係

ここで、ヌーソロジーの最も重要な概念の一つである、人間の「外面」と「内面」という概念が登場します。ふつう私たちが日常使っている「外面」と「内面」という言葉は、「外面」は外向けの面ということで外在的なものを表し、「内面」は内向けの面ということで内在的なものを表しますが、ヌーソロジーで言う「外面」と「内面」はそれらとは逆の様相を呈してきます。どういうことかというと、今まで私たちが閉じ込められていた物質概念の世界、つまり、「人間型ゲシュタルト」の世界が、この赤い球空間になります。つまり、「内壁が赤で、外壁が青」の球空間です。このような空間概念を、次元観察子ψ4と呼びます。モノの外壁が外へと拡大していくマクロ方向がψ1であり、モノの内壁が球体の中心に向けて縮小していくミクロ方向がψ2です。このψ1の拡大とψ2の縮小に対して、反転した世界を考えると、青い球空間、つまり、「内壁が青で、外壁が赤」の球空間になります。これは、空間が反転したことによって、ミクロ方向とマクロ方向は等化したという意味合いがあるわけで、このような空間概念を、次元観察子ψ3と呼びます。

それでは次の図を見て下さい。これは、私たちが実際にモノを見ているときの全体図です。先ほどの青い球空間と赤い球空間を大きくしたものと小さくしたものの半分同士をそれぞれ互い違いにくっつけ合わせたようになっています。
3 人間の外面と内面
(『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.367より)

ここで、モノとして、わかりやすく球状のもの、例えば、ピンポン玉を手に取って見て下さい。今、みなさんにはピンポン玉の表側の外壁が見えています。それが青い面に対応する「外面」です。そして、ピンポン玉の裏側の外壁は、赤い面に対応する「内面」です。ふつうψ1で拡大していった時にはこの内面の中に観測者である私が包まれてしまいます。そのとき、内面は私の後ろ側となって「見えない」わけです。一方、ピンポン玉の表側の外壁は「見える」わけです。もう一つ「見える」世界があります。それがピンポン玉の背景面です。
今、このピンポン玉がどんどん目の前で膨らんでいったとします。そうすると自分のからだの手前までは、ピンポン玉の表側の外壁である青い面が見えます。しかし、自分のからだを通過して、それが拡大して自分の後ろを意識したときには、それは既に赤い面となって、見えません。前にあるときも、ピンポン玉の裏側の外壁である赤い面は見えません。要するに、「人間の内面」と呼ばれる赤い面は、「見えない」わけです。
少し整理しておきましょう。つまり、

対象(ピンポン玉)の表側の外壁(凸面)…見える世界 =外面(青い面)
対象(ピンポン玉)の背景面(凹面)  …見える世界 =外面(青い面)
対象(ピンポン玉)の裏側の外壁(凸面)…見えない世界=内面(赤い面)
私の後ろの背景面(凹面)       …見えない世界=内面(赤い面)

というわけです。
4 赤い面と青い面の反転

今度はピンポン玉を縮めていきましょう。ピンポン玉を縮めていってその中心点を通過すると反転します。つまり、モノの外壁だった青い面(a)は、モノの中心点で反転して、モノの背景面の内壁(c)になります。一方、モノの内壁だった赤い面(b)は、モノの中心点で反転して、モノの背景面の外壁(d)になります。
つまり、何を言っているかというと、モノの内部の球空間(赤い面)とモノの外部の球空間(青い面)は、人間の知覚においては反転しているというわけです。私たちはふつう、モノを見ている状態(aの外壁=青、bの内壁=赤の関係)をそのまま膨らませて背景面をイメージ(gの内壁=赤、hの外壁=青の関係)しているため、モノの内部に落ち込んでいます。でも、モノを見ている状態を縮めてモノの中心点で反転させて拡大すると、モノの背景面が青(cの内壁=青、dの外壁=赤の関係)となります。こうすると、背景面はモノの表面が反転した領域になるわけですから、等化が起きている領域ということになります。つまり、私たちが見ているモノの背景面(cの内壁=青、dの外壁=赤の関係)は、既にモノの表面(aの外壁=青、bの内壁=赤の関係)が反転していたものだったというわけです。ところが、私たちの意識は、このモノの表面(aの外壁=青、bの内壁=赤の関係)に磔(はりつけ)になっているために、それをそのまま拡大したもの(gの内壁=赤、hの外壁=青の関係)を「空間」と呼んでいたということになります。


ここは、「私たち人間が長い間乗り越えられなかった壁であり、今その峠で乗り越えようとしている」と半田広宣氏は言っています。簡単に言えば、モノの表面(オモテ)やモノの背景面という、人間の「外面」世界(青い面)は見えますが、モノの裏面(ウラ)や観測者である私のいる側の背景面という、人間の「内面」世界(赤い面)は見えません。そして、人間は空間と言えば、この「内面」世界しか認識しておらず、「外面」世界が無視されています。その「外面」世界とは実際に知覚が起きている場のことです。

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