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2019年10月7日月曜日

32. 最初の空間反転の入口

このように、私たち人間の意識はまだ次元観察子ψ1~ψ2の球空間に住んでいて、自分のまわりの空間も、モノのまわりの空間も区別がなく、ただ空間が漠然と外に広がっていると思っていたわけです。ところが、私たちが外に広がっていると思っていた空間は、実は「モノを両手で包みこんだときの掌の内側で感じる触覚的なかさばり感覚」をそのまま膨張させたり収縮させたりしているだけでした。この意識は「モノの内部」という意識です。つまり、実はまだ「モノの外部」には出られていなかったというわけです。この「モノの内部」意識こそ、人間の意識の基礎を構成しているとも言えるものであり、モノという対象が観測者なしでも存在していると考えてしまう、いわゆる対象中心の物の捉え方である「人間型ゲシュタルト」と呼ばれる思考様式でした。

では、人間の意識が閉じ込められているψ1~ψ2からψ3へと上昇していくためにはどうすればいいでしょうか。それが「空間を反転させる」ということなのです。

特殊相対性理論においては、光速に近づけば近づくほど運動方向に向かって空間が縮んでいき、ついに光速度に到達したとき点になるというローレンツ収縮が起こります。では光速度の壁を超えたらどうなるかというと、ヌーソロジーでは、それは、点の中に入っていくと発想をし、反転が起こると考えています。つまり、モノの外面(外壁)と内面(内壁)がひっくり返るわけです。このとき、モノの中身がベチャッと出てしまうのではなく、球面という観念が反転するだけです。もう少し詳しく見てみましょう。

図1 モノの外面と内面の観念の相互反転
(『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.32より)

まず、モノとしての球体を象っているのは球面という観念です。「人間型ゲシュタルト」の原因になっているのは、この「モノの境界面の観念」でした。ψ1ではその観念をどんどんどんどん拡げていき、逆に、ψ2ではどんどんどんどん縮めていきます。しかし、このように拡げたり縮めたりしているのは、モノの内壁の方であって、モノの外壁の方ではありません。このような空間認識を象っている観念を、ヌーソロジーでは「核質」と呼びます。そこで、この空間の反転認識とは、球面の概念を反転させて世界を見ることだと考えることができます。つまり、この反転認識は球面の外壁と内壁を捻り合わせ、両者を等化する働きを持っているわけです。

さて、私たちがモノを見る意識というのは、3次元空間の3本の座標軸の交点に対象であるモノを点として見るような意識です。この3次元空間の3本の座標軸が紙面上で平面に潰れて「水」の字になっていると考えて下さい。試しにその紙面上の「水」の字に垂直に鉛筆を立ててみましょう。すると、その鉛筆が指し示す方向にハッとさせられます。その鉛筆の先にいる存在こそ、その紙面を覗き込んでいるこの〈わたし〉ではありませんか。つまり、その鉛筆こそ、まさしく4次元目の座標軸であり、その無限遠点こそ〈わたし〉のいるところだったというわけです。

図2 4次元とは何か
(『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』p.179より)
3 〈わたし〉とモノを結ぶ視線は4次元(『光の箱舟』p.97より)

もう少し正確に言いますと、この4次元の軸の鉛筆が指し示す方向と、〈わたし〉がそのモノのある3本の座標軸の交点を見ている視線の方向は、向きが反対になっています。まず、このことに気づくことが、この次元観察子ψ1~ψ2の世界から出る第一歩です。

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