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2019年10月7日月曜日

34. 人間の外面と内面――次元観察子ψ3~ψ4 (2)

NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 DVD Vol.4』の中で、半田広宣氏は次のように面白いことを言っています。

「人間の外面意識に置いてはモノの手前に自分がいるという感覚はありません。ただモノと背景がそこにあるだけという知覚が起こっている状態です。モノの手前にいる自分というのは矢印がモノから自分の顔へと向いています。自分の顔は見えません。今までの文脈からすれば、内壁に貼り付いているものではないでしょうか。つまり、私がこのモノの手前にいるという感覚が、実は人間の内面の意識の核になっています。だから、自分の顔は自分の現実にはありません。あたかもここに自分の顔があるかのような認識が向こうからやってきていて、こっちの意識によってモノの手前の自分というのが形作られています。」


ψ3とψ4の球空間の構造をもう少し見てみましょう。ピンポン玉の表側とその背景面が青い面であり、それで構成される球空間がψ3による球空間です。逆に、ピンポン玉の裏側と私の背景面が赤い面であり、それで構成される球空間がψ4による球空間です。図で描くと、こんな感じになっています。

図1 ψ3ψ4の球空間の中のモノ
DVDNOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.4』の図に、説明用の図を追加)

この図は運動している空間全体を描いていますが、こうして止まって見ているだけでは、先ほどの球面を半分ずつ接着した空間の図で見たように、半分の空間しか見えません。

そこで、こうしてピンポン玉というモノを見ている視線の方向に、モノの中心からずっと向こう側に矢印を引っ張ったものをぐるっと回転させてみます。すると、モノの背景面である空間全体が見えます。要するに、モノの背景面である空間全体を見ようとすると、観測者自らが動かなくてはいけないというわけです。つまり、ψ3の球空間というのを身体的に感覚的に扱うためには観測者自らが回転する必要があります。

このψ3の球空間の半径は、モノの中心からモノの向こう側に伸びている直線であり、したがって、モノの向こう側のずっと彼方にある無限遠点が、人間の外面における無限遠点ということになります。そして、そこが人間の真の主体の位置があるということになるわけです。
半田広宣氏は、『NOOS LECTURE LIVE DVD 2009-2010 Vol.4』の中で、さらにこんな話をしています。

「主体というのは私たち自身です。私たち自身がいったいどこに「いる」のでしょうか。あくまでもψ1~ψ2の中でイメージされている、物質的肉体としての私たちは時空の中に「ある」と言えます。「いる」ではなく「ある」と言い方をします。あくまでも物質的肉体がある場所、それは単なるモノであって、われわれが現実に働かせている知覚や意識というのは全く存在しない世界です。ここで、初めて私たちは反転する空間というものを発見して、その反転という空間において初めて私たちはそこに居住しているということをまずははっきりさせたかったわけです。そこにおいて私たちは見るということを成り立たせているわけです。」

ここで、モノの内部の空間とモノの外部の空間の違いということについて、もう少し別な方向から説明しておきます。

ピンポン玉を持って回してみます。すると、ピンポン玉は回転していますが、背景空間は動きません。これは何を意味しているかというと、モノの内部を象っている空間と、モノの外部に背景として見えている空間というのは次元が違うということです。私たちはすべて3次元空間というものを同じに考えていますから、モノの内部もモノの外部も3次元ですし、私から拡がる空間も地球から拡がる空間も3次元だと思っています。これはψ1~ψ2の中ですべて思考していて、空間の差異が見えないから、すべての空間を同一視してそういうふうに見てしまっているわけです。つまり、ヌーソロジーの考え方では、空間には階層があるということです。
今、ピンポン玉をただぐるぐる回転していても背景は動きません。では、モノの外部の空間を動かすにはどうすればいいでしょうか。それは、私自身が動けばいいわけです。
まず、ψ1~ψ2というのはモノの内部性でした。そして、ψ3の反転によって等化され、背景面が生まれてきます。この背景面は、私の肉体を動かすと動きます。つまり、観測者の肉体と、モノの背景面は、運動において相対的な関係にあるということです。一方、モノを回転させても背景面は微動だにしません。私も動く必要がありませんから、このモノ で閉じられた空間の中には私はいないということにあります。つまり、私という真の主体はψ1~ψ2から出て、それが反転したψ3、つまり、モノの背景面にいるというわけです。私は不動というわけです。
ところが、モノの手前に感覚されている肉体としての自分の位置は、モノの中心から自分の手前に向かってくる矢印によって作られる半径としてなぞられる場所ですから、ψ3の反映であるψ4になります。こちらが人間の内面です。モノの手前に自分がいると思って、自分が運動することによって形作られている空間です。こちらでは私は不動ではありません。

要するに、モノの中心から自分の方向に向いている矢印を半径とするψ3による球空間と、モノの中心からモノの向こう側に向いている矢印を半径とするψ4による球空間という、2つの空間が生まれており、その2つの空間は互いに反転しているわけです。

改めて、ψ3とψ4をまとめておきましょう。

■次元観察子ψ3

モノの向こう側に見えている空間=「見ている」空間(主体空間のもと)。
奥行き感覚に基づく。

■次元観察子ψ4

モノの手前側 に見えている空間=「見られている」空間(客体空間のもと)。
感覚に基づく。

2 件のコメント:

  1. こんにちは、natanです(^^)ノ
    コメント用に新規アカウント作りました。
    今後ともどうぞよろしくお願いします( *・ω・)*_ _))

    このお話はプリントアウトして永久保存版にしておきたい内容ですね☆

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  2. Φ=WHY?です。ご訪問ありがとうございます。この辺りは10年前のレクチャー内容をベースにしておりますので、少し情報が古くなっているところがありますが、本質的なところは変わっていないと思います。こちらこそ、よろしくお願い致します。

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