ページビューの合計

2019年10月23日水曜日

41. モノ的世界観からコト的世界観へ

半田広宣氏のデビュー作である『2013:人類が神を見る日』の初版本の新刊の帯にはこんなトンデモな内容が書かれていました。

素粒子の正体は、われわれの意識だった!
意識進化はすべてを光に変える!

これほどトンデモな内容が他にあるでしょうか。ヌーソロジーがトンデモの中の超トンデモだと言われる所以でもあります。でも、これこそ、まさにヌーソロジー一番の醍醐味とも言えるものです。ふだんは物理学の中の一意識としてしかほとんど触れる機会のない、素粒子が実は私たちの意識と最も深い関係になるのだとしたら、どうでしょうか。、
このヌーソロジーならではの、独特にして壮大な世界観の中で語られるその内容を、物理学の知識を参照しながら、みなさんと一緒に見ていくことにしましょう。

その前に、私たちがふだん何気なく、それこそ考えるともなしにぼんやりと描いている世界観というのは、一体どんなものでしょうか。考えてみましょう。
半径137億光年という広大な宇宙の中に、天の川銀河と呼ばれる渦巻き状の局部銀河があって、その壮大な渦巻きの中のいて腕とペルセウス腕に挟まれたオリオン腕と呼ばれる領域の中に、太陽系という一つの恒星系があって、その内側から3番目を公転する、地球よ呼ばれる惑星の表面に、日本と呼ばれる国があって、そのとある所に住んで、特定の名前を持って、ある職場で仕事をしながら、家族ととともに、日々の暮らしを送っている私という人間がいて、人生という時間の中で、他の人間と関わるだけでなく、様々な種類の物質でできたものやら、生命を持った動物や植物とも様々な形で関わり合い、それらは思考したり感情を表す人間とは違うものだということもわかっている――まあ、ざっくりと表現すれば、こんな感じの世界観を、みなさんも、多少のバリエーションの違いを伴いながらも持っていると思います。

私たちが持っているこうした世界観は、生まれてから様々な他の人間や動植物や物質などと関わる経験などを通して身に付いたものですが、思考的な補完はその時代時代のその社会における常識だとか学校教育によって行われます。その結果、現在私たち日本人が持っている標準的な世界観というのは、短絡的な言い回しにすれば「モノ的世界観」だと言えます。

この「モノ的世界観」は、後で述べるように、これまで近代化を推進してきた世界観だったのですが、私たちが生きているこの21世紀初頭においては、古い世界観になりつつあります。というのも、20世紀前半に登場した「相対論」と「量子論」という現代科学の2本の柱とも呼ばれる考え方によって、新しい世界観が始まったからです。

「相対論」とは、アインシュタインの相対性理論のことですが、これは一つの理論ではなく、特殊相対性理論と一般相対性理論という2つの理論を指します。一方、「量子論」とは、プランクやボーアらの前期量子論に始まる電子や光子といった素粒子のふるまいを説明したものであり、粒の量子論(量子力学)と場の量子論からなります。この「相対論」と「量子論」の基礎にある物の見方や捉え方は、単に、物理学の領域にとどまらず、科学全体、あるいは、学問分野全体にまで影響を及ぼしたのではないかと思います。

つまり、端的な言い方をすれば、人類全体の意識において、いよいよ「モノ的世界観」から「コト的世界観」への移行というかなり大規模なパラダイム・シフトが起こってきたのではないかと評されるわけです。

にもかかわらず、私たちはまだこの前時代的な「モノ的世界観」を払拭できずにいるのでは、なぜでしょうか? それは、「モノ的世界観」が私たち近代以降の人間が当たり前のように持って表現している「自我」と大いに関係しているからだとされます。

このような「モノ的世界観」をヌーソロジーでは「人間型ゲシュタルト」と呼んでいます。簡単に言えば、「モノ的世界観」とは、対象を中心とする物の見方のことであり、一方、「コト的世界観」とは、観測者-対象を1セットとして捉える物の見方のことです。後者の「コト的世界観」をヌーソロジーでは「変換人(トランスフォーマー)型ゲシュタルト」と呼んでいます。


図1 モノ的世界観からコト的世界観へ
(上図は半田広宣『2013人類が神を見る日 アドバンストエディション』(徳間書店)より)

つまり、今の人間の意識ベースは、歴史的には近代自我の形成というものと大いに関わっており、しかも、現代科学の2本柱である相対論と量子論の考え方は、新しい人間の意識ベースへと遷移しようとしている顕れであるというわけです。

ヌーソロジーによれば、そもそも人間の意識の形成には、もっと大きな宇宙の情動運動とも言うべき大きな精神運動が関わっており、当然、人間の歴史は、その精神運動の反映物として顕れているというわけです。まずは、その辺りから詳しく見ていきましょう。


2019年10月18日金曜日

40. 元止揚空間の完成――次元観察子ψ7~ψ8

さて、次元観察子ψ5~ψ6が形作る球空間が「人間ひとりの外部に広がる空間」であるならば、察しがいい方はすぐにお分かりだと思いますが、続く次元観察子ψ7~ψ8が形作る球空間が「人間無数の外部に広がる空間」ということになります。
ここで気をつけなくてはいけないのが、この次元のイメージに登場する「人間無数」の「人間」とは、次元観察子ψ5~ψ6と同様、空間に差異があると気づいて、その空間認識を反転させて顕在化した人間のことですから、「モノの手前にいる自分」という偶像に縛られた人間ではありません。「モノの向こう側」という「奥行き」を基軸として展開される空間である「前の空間」に生きている人間のことです。そうした人間が無数集まってその外側に広がる空間が次元観察子ψ7~ψ8が形作る球空間というわけです。

図1 ψ5とψ6の球空間からψ7とψ8の球空間への発展
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.7』より)

ここで、「人間の精神構造」の中核とも言うべき「元止揚空間」を構成するψ1~ψ8までの次元観察子について、簡単にまとめておきます。各次元観察子の対ごとに、次元階層の異なる球状イメージの空間、いわゆる球空間が広がっていると考えると、直感的にもつかみやすいということでした。ψ1~ψ2、ψ3~ψ4、ψ5~ψ6、ψ7~ψ8が形作る球空間の次元は、それぞれ「点球次元」「垂子次元」「垂質次元」「球精神次元」と呼ばれます。


                        図2 点球次元から球精神次元へのイメージ


これら4階層の球空間は、次のようなシンプルで美しい空間構造になると言います。

ψ1~ψ2:点球次元……一個のモノの見え姿すべて。
ψ3~ψ4:垂子次元……一個のモノを原点として、そこから広がる空間のすべて。
ψ5~ψ6:垂質次元……一人の身体(=無数のモノ)を原点として、そこから広がる空間のすべて。
ψ7~ψ8:球精神次元…無数の身体を原点として、そこから広がる空間のすべて。

図3 点球次元から球精神次元へ
(cave syndrome「時間と別れるための50の方法(55)」2008/12/1より)

次元観察子としては、この後、ψ9~ψ10の「調整質」(思形と感性)、ψ11~ψ12の「中性質」(定質と性質)、さらに、ψ13~ψ14の「変換質」(観察精神とその反映)という、上次元の構造が登場しますが、これらは別の機会に改めてご説明することにしましょう。

39. 素粒子空間への参入 (3)

さて、半田広宣氏は、次元観察子ψ5について、『NOOS LECTURE 2009-2010 Vol.6』の中で、こんなふうに説明しています。

「ψ5というのは、何かみなさんがモノを見たら、そのモノの中に入り込んでいます。もっと言うと、実は元々このψ5というのは全く不動のひとつで、まわりが回っていると思えばいいんです。どこに焦点を取ろうと、そこに必ずそこにあります。それを内面の方向で表現したのがこの図(図1)です。でも、この人(図1中の観測者)にとっては、絶えず「前」であり、これ(無限小球体)は全部同じものです。そういうカタチでこのモノの中に入り込んでいます。そしてこれは、モナドとして、長さがほとんど無限小(1/∞)の奥行きを持っているということです。」

そうすると、ある意味、ψ3の領域は、他者のまなざしによって、自己のまなざしによる光景が押し潰され、ミクロ領域に押しとどめられてしまい、光子を形成する力になっていると言えるでしょうか。そして、ψ5の領域は、そのミクロ領域、つまり、無限小球面の内部で背中合わせになっている、さらなる無限小球体としての電子やニュートリノ(又は、uクォークやdクォーク)を形成する力になっているという感じでしょうか。


図1 無限小球体とわたし

どうしてもこうしたイメージがつきまとってしまうのは、ヌーソロジー的には、私たちの意識が「人間型ゲシュタルト」というモノの内部に投げ込まれてしまっているからだということになります。ですから、こうした無限小領域のイメージは、「人間型ゲシュタルト」における描像というわけです。
ヌーソロジーの解釈によれば、この押し潰されてしまったミクロの単位尺度領域こそが量子力学や素粒子物理学が扱う「プランク定数」と呼ばれるものの世界です。

半田広宣氏は、続けて、『NOOS LECTURE 2009-2010 Vol.6』の中で、こんな説明をしています。

図2 内面における無限小の4次元球体の捉え方
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)

「一応、内面の感覚で身体(肉体)がここ(図2の対象中心の右横ずっと行ったところ)にあるとしましょう。目の前にモノ(図2の対象中心)があるとしましょう。ここ(図2の4次元方向の軸)はψ3だったところの軸です。そして、ぐーっとψ3を丸めて、今ここ(図2の∓∞)からひっくり返って、ψ5を形成して等化しているわけです。
だから、この図であえて表すと、身体(肉体)が不動の身体だと考えると、ここ(図2の∓∞)でこう回って(反転して)こう表面と裏面を等化したこの軸(図2の4次元方向の軸)の中にψ5が入っているという話をしているわけです。ですから、モノ(図2の対象中心)の向こうに無限遠点(図2の∓∞)があったら、そこには自分のここ(後頭部)があるということです。つながっているわけですから、自分の背中が見えているわけです。でも、そこは自分の背中ですから、そこに自分がいて、この世界(青い点線部分全体)さえ、ぎゅーっと縮められて、ここに面の厚みとして入っているということを言っているわけです。光速度空間の中では、それは1/∞の長さです。
おそらくこれは描像が非常に大変だと思いますが、関係性としてはもう自分が見ている視線を点に見て、その点の厚みだと思えばいいだけなんです。そして、こちら側(モノの背景面)がこう動いていると思えば、それは常に自分の「前」というところで形作られている構造で、これがψ5の正体であるという話になってきます。」

このような描像を描かせてヌーソロジーがやりたいのは、本当の自己と他者の場所(トポス)がどこにあるかということを獲得させることです。それが次の図です。

図3 無限小球体の中での背中合わせ
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)

これは、自己と他者について、ちょうど先ほどの図(図2)を2枚分重ねたような図になっています。これがヌーソロジーではお馴染みの「背中合わせの自己と他者」です。



図4 背中合わせの自己と他者

(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)

38. 素粒子空間への参入 (2)

ところで、私たちは「回転」と言っても、どれほどのことを知っているでしょうか。
私たちが慣れ親しんでいるはずの回転、例えば、3次元空間における回転SO(3)であってもあまり知らないことがあります。例えば、3次元空間における連続回転として、x軸のまわりで30度反時計回りに回転させてから、y軸の周りで60度反時計回りに回転させるのと、逆にy軸の周りで60度反時計回りに回転させてからx軸のまわりで30度反時計回りに回転させるのとでは、同じ結果になりません。このように、3次元空間における回転においては、連続した回転の順序を交換すると、結果が異なってきます。これは、3次元回転群SO(3)における2つの回転の合成に関して、交換法則が成り立たないということです。
また、3次元空間の、x, y, zという3本の座標軸のうちの、例えば、z軸の向きを逆向きに変えた空間を作れば、元の3次元空間とは鏡像的な空間になります。前述の「スピノール」が回転する空間は、この元の3次元空間と鏡像空間の両方を回転する空間です。いわば、3次元回転SO(3)の表裏を回転する操作の集まりが3次元スピン群Spin(3)です。一般に、n次元空間における回転群SO(n)の表裏を回転する操作の集まりを、n次元スピン群Spin(n)と呼びます。
そして、もう一つ回転を考える上で大事なのが、(n-1)次元球面S^(n-1)です。(n-1)次元球面S^(n-1)とは、n次元空間R^4において、長さ1の単位球体を考えたときの、その表面のことです。例えば、1次元球面S^1とは2次元空間R^2における単位球体の表面、つまり、単位円の円周のことであり、2次元球面S^2とは3次元空間R^3における単位球体の表面、つまり、地球儀上の地図のような、ごくふつうの球面のことです。同様に、3次元球面S^3とは4次元空間R^4における単位球体の表面になります。したがって、n次元回転SO(n)とは、(n-1)次元球面S^(n-1)上の各点における回転、つまり、(n-1)次元回転SO(n-1)の集まりということになります。少しまとめておきます。

■回転とスピンの関係
…n次元空間における回転群SO(n) ⇔ n次元空間におけるスピン群Spin(n)
Spin(n)/{±1}=SO(n)
■回転と単位球面の関係
Spin(n)/Spin(n-1)=S^(n-1),  SO(n)/SO(n-1)=S^(n-1)
■主な単位球面と同型対応
0次元単位球面:S^0=Spin(1)=O(1)=Z2={±1}
1次元単位球面:S^1=Spin(2)=U(1)=SO(2)
3次元単位球面:S^3=Spin(3)=Sp(!)=SU(2)

こうした素粒子の状態回転にまつわる物理学的あるいは数学的な特性に関して、ヌーソロジーの空間幾何学の中で、どのように解釈され直して取り込まれるのかということを、自分なりによく考えながら進んでいく方が、一見回り道でも、いずれヌーソロジー全体を総括的に理解していくためには重要になってくると思います。

例えば、フェルミオンやボソンといった量子の、認識単位とも言えるものを決める条件を「量子条件」と呼びます。ここで言っている認識単位とは、エネルギー量子の単位です。一般に、「量子条件」とは、粒子の生成・消滅の演算子を用いて、ある意味、付帯的な「場の関数」に作用してその観測結果を取り出す演算子同士の間に成り立つ関係として表されます。実際には、「量子条件」は、「ハミルトニアン」と呼ばれる「総エネルギー」を表す演算子と対をなして意味を持ちます。例えば、調和振動子の場合、フェルミオン型でもボソン型でも、同じ運動を表現することができます。その場合、フェルミオン型の量子条件は「反交換子」を用いて規定されますが、そのハミルトニアンは「交換子」を用いて表されます。逆に、ボソン型の量子条件は「交換子」を用いて規定されますが、そのハミルトニアンは「反交換子」を用いて表されます。ここで、「交換子」は「円」的であるとすれば、「反交換子」は「双曲線」的です。つまり、双曲線的なものでエネルギー単位が規定されるフェルミオンの総エネルギーは円的なものとして示され、円的なものでエネルギー単位が規定されるボソンの総エネルギーは双曲線的なものとして示されるという感じです。

■量子条件とハミルトニアン

フェルミオン……量子条件(エネルギー単位)  :双曲線的(反交換的)
ハミルトニアン(総エネルギー):円的   (交換的)
ボソン    ……量子条件(エネルギー単位)  :円的   (交換的)
ハミルトニアン(総エネルギー):双曲線的(反交換的)

ヌーソロジーでは、一般に、奇数観察子側が円的に閉じていて、偶数観察子側が双曲線的に開いているとされています。一方、フェルミオンは物質粒子ですから、ある意味閉じており、ボソンは力の媒介粒子ですから、ある意味開いているというイメージがあります。すると、何となく、フェルミオンは奇数観察子側で、ボソンは偶数観察子側という感じになります。ところが、この量子条件を見る限りでは、一見逆に見えます。この辺りに関して、今後、これらフェルミオンとボソンをどう解釈して、意識構造へとつなげていくかを十分考えなくてはなりません。
私は、小冊子『ヌーソロジー・ド超入門』の「ヌーソロジーの理解の仕方のヒント」のところで、次元観察子の素粒子関連への対応として、こんな一覧を掲げていました。

ψ7~ψ8 強い力(クォークとグルーオン)   
ψ5~ψ6 弱い力(レプトンとウィークボゾン) 
ψ3~ψ4 電磁気力(荷電粒子と光子)     
ψ1~ψ2  時空            

やや『2013:シリウス革命』寄りの表現を借りれば、こんな感じになるでしょうか。

ψ7~ψ8 陽子と中性子    =SU(3) ゲージ対称性と関係
ψ5~ψ6 電子とニュートリノ =SU(2) ゲージ対称性と関係
ψ3~ψ4 光子(電場と磁場) =U(1)  ゲージ対称性と関係
ψ1~ψ2  時空

ここで、光子、つまり、電磁場は、細かくは、ψ3が電場、ψ4が磁場と関係があるとされています。その電場と磁場を、電磁四元ポテンシャル(スカラー・ポテンシャルとベクトル・ポテンシャル)の回転として定義した場合、まず、双曲線的な擬回転(角度が虚数の回転)で定義されるのが「電場」であり、「電荷」(電気単極子)という閉じた実体があります。一方、円的な回転で定義されるのが「磁場」であり、「磁荷」(磁気単極子=モノポール)という閉じた実体はまだ見つかってしません。これも、整理しておきましょう。

■電場と磁場

電場……双曲線的、電荷という閉じた実体あり

磁場……円的   、磁荷という閉じた実体なし

図1 観測者から見たψ5の位置
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)

37. 素粒子空間への参入 (1)

さて、ここからがいよいよヌーソロジーの醍醐味である人間の意識構造を素粒子空間へと参入させていくロジックが登場するわけですが、これにはいくつかの予備知識が少々必要になります。ヌーソロジーでは、この辺りになると、素粒子物理学の基礎的な知識や、それを説明するための小道具としての数学の概念などが多用されてきます。ただでさえ、「シリウス言語」という、私たちが慣れ親しんでいない、ヌーソロジー独特の難解な用語が出て来ているわけですから、そうしたものが苦手な者にとっては、この辺りで、アタマの中がウニのようになってしまいます。そこで、それらに多少はとっつきやすくするために、若干の簡単な補足をしておきます。

まずは、「スピノル」についてです。量子力学や素粒子物理学などの現代物理学において扱われる物理量は、座標変換と呼ばれるものとの関係で定義されます。座標変換は、簡単に言えば、ある種の回転のようなものと考えてもらえば、とりあえずはイメージしやすいでしょう。ふつう回転と言えば、何か三角形だとか矢印といった平面上の図形を思い浮かべてもらえばわかりやすいですが、360度回転させれば、元の形のところに戻ってきます。こうした存在を物理学では「ベクトル」と呼びます。つまり、座標変換において1回転、つまり、360度で元に戻る存在が「ベクトル」です。ところが、座標変換をしても何も変わらない存在があります。それが「スカラー」です。つまり、座標変換において0回転、つまり、0度で元に戻る存在が「スカラー」です。ところが、こうした「ベクトル」だとか「スカラー」とはちょっと毛色の異なる空間構造を持った存在があります。それが「スピノル」です。「スピノル」は、なんと2回転、つまり、720度で元に戻るのです。

図1 普通の輪とメビウスの帯の違い
(身近な科学http://tehiro.sakura.ne.jp/studyaid/diary.cgi?no=10 より)

「スピノル」をイメージするには、「メビウスの帯」を思い浮かべてもらえばわかりやすいと思います。まずは、ペラペラの紙の帯を使って、普通の輪とメビウスの帯を作ってみましょう。1回も捩じらずにふつうに帯の端同士を糊付けすれば「普通の輪」になりますが、1回だけ捩って帯の端同士を糊付けすれば「メビウスの帯」になります。「普通の輪」をぐるっと指でたどる場合、輪の内側、外側ともそれぞれ360度で元の位置に戻ってきます。ところが、「メビウスの帯」を指でたどる場合、内側から始めようが外側から始めようが、途中で反対側の外側や内側に回ってしまい、結局元の位置に戻るまでに2回転分、つまり、720度要するわけです。
物理学では、こうした回転による性質を「スピン」と呼び、n回転で元に戻ることを「スピン1/n」と表現します。したがって、0回転で元に戻るスカラーは「スピン0」、1回転で元に戻るベクトルは「スピン1」、2回転で元に戻るスピノルは「スピン1/2」ということになります。では、まとめておきましょう。


■スカラー
…座標変換において、0回転(0度)で元に戻る物理量。スピン0。
■ベクトル
…座標変換において、1回転(360度)で元に戻る物理量。スピン1。
■スピノル
…座標変換において、2回転(720度)で元に戻る物理量。スピン1/2。

自然界の現象は、突き詰めて考えれば、どんどん細かくしていけば、物質はより基本的な粒子へと分解され、それら粒子同士を結合させたり分離させる力である「4つの力」を用いて説明されます。「4つの力」は「相互作用」とも呼ばれ、電磁気力(電磁相互作用)、弱い力(弱い相互作用)、強い力(強い相互作用)、重力(重力相互作用)の4つです。この「4つの力」自身もまた、力を媒介させるある種の粒子によって説明されます。この物質を構成する基本粒子を「フェルミオン」と呼び、「4つの力」を媒介させる粒子を「ボソン」と呼びます。少し小難しいことを言えば、ここで「粒子」と呼んでいるものは本当の意味では単なる「粒子」ではありません。粒子性と波動性を持った「量子」と呼ばれる存在です。量子力学や素粒子物理学などの現代物理学で扱われるものは、「粒子」という名前がついていても、すべて「量子」のことです。
前述のベクトルやスピノルとの対応で見れば、「フェルミオン」はスピノルです。「ボソン」には、いくつか種類があって、質量を付加する粒子であるヒッグス粒子はスカラー・ボソンとされ、電磁気力を媒介する光子や、中性子崩壊などで現象化される弱い力の媒介粒子であるウィーク・ボソンなどはベクトル・ボソンです。その他、重力を媒介する粒子である「重力子」(グラビトン)は、スピン2(つまり、180度で元に戻る)のボソンです。

■フェルミオン(物質粒子)
…スピン1/2の量子。電子やニュートリノなどのレプトンと、陽子や中性子を構成するuクォークやdクォークなどのクォークがある。

■ボソン(力の媒介粒子)
(1)スカラー・ボソン…スピン0の量子。ヒッグス粒子や、フェルミオンの超対称性パートナーの粒子など。
(2)ベクトル・ボソン…スピン1の量子。「4つの力」のうち、電磁気力、弱い力、強い力を媒介する粒子。具体的には、1種類の光子、3種類のウィーク・ボソン、8種類のグル―オンがある。
(3)重力子(グラビトン)…スピン2の量子。重力を媒介する粒子。

さて、ヌーソロジーでは、古代ギリシアの哲学者アナクサゴラスが説いた「ヌース」(旋回する知性)のイメージのごとく、何かの回転がどんどん結びついていって、物質を始めとする宇宙のすべての存在が作られていると考えています。つまり、ヌーソロジー的な空間の幾何学的構成として「回転」というものを非常に重要視しているわけです。
この「回転」を考える上で大事な考え方が「群」です。言ってみれば、「群」とは、私たちが慣れ親しんでいる、足し算・引き算・掛け算・割り算といった四則演算のごとく、ふつうの数の計算のような感覚で取り扱いたいときに役に立つ考え方です。要するに、「群」とは「数」に対する考え方を拡張したような概念構造だと考えればいいでしょう。その中で、特に、量子力学や素粒子物理学などの現代物理学と関係が深いのが、U(1)、SU(2)、SU(3)、SU(5)といった、ユニタリー群、特殊ユニタリー群です。これらは簡単に言えば、「複素数世界における回転」といった感じのイメージになります。実際、1次ユニタリー群U(1)は「複素数平面上の回転」を表します。私たちがふつう「回転」と呼ぶものは、2次元空間、つまり、平面における回転群SO(2)と、3次元空間における回転群SO(3)でしょう。一般に、n次元空間における回転は「SO(n)」と書かれます。
素粒子世界では何が回転するかと言えば、フェルミオンやボソンが作用する「場」を考え、その場の状態がある種の回転のようなもの、つまり、位相変換を受けると考えるわけです。この「場」はある種の関数であり、簡単に言えば、量子力学で扱われる「波動関数」と呼ばれるものを「場の量子論」の考え方を用いて拡張したものだと考えればいいでしょう。具体的には、電子やクォークといった1種類のフェルミオンを状態回転させるのがU(1)であり、電子とニュートリノの対、uクォークとdクォークの対といった2種類フェルミオンの組を状態回転させるのがSU(2)であり、さらに、u、d、sの3種類のクォークの組を状態回転させるのがSU(3)です。つまり、n種類のフェルミオンの組を状態回転させるのがSU(n)だというわけです。
素粒子世界では、これらフェルミオンの組の状態回転の際に、無限小の平行移動としての微分自体も作用を受けることになり、その受けた作用を補正する役割を果たすのがボソン(正確には、ゲージ・ボソン)です。具体的には、「素粒子が持つ内部空間における歪み」として扱われます。歪みを巻き戻してくれる存在が、ボソンだと言っていいでしょう。

36. 自己と他者の対称性――次元観察子ψ5~ψ6 (2)

先に述べたように、「モノの向う側」の無限遠点までを半径とする空間がψ3が描く球空間であり、「モノの手前側」の無限遠点までを半径とする空間がψ4が描く球空間でした。この次元観察子ψ3とψ4の半径というのは、視線方向の「奥行き」ですが、実際にはこの「奥行き」が潰されてしまって無限小のミクロに縮められています。

図1 メルロ・ポンティの奥行き解釈と次元観察子ψ3~ψ4
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.5』より)

この「奥行き」方向の「前」と「後」がψ3とψ4であり、「見るもの」と「見られるもの」の関係になっているわけです。ψ3とは、表相の背景面が不動であることを見い出して、それを回転させることによって生成される球空間でした。

図2 ψ3とψ4を4次元から見たときのアナロジー図
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.5』より)

ヌーソロジーのロジックとしては、このψ3とψ4を等化するとψ5になり、中和するとψ6になるわけですが、これは言ってみれば、3次元空間を平面に見立て、4次元目の軸を、その平面を見る垂直な視線として立てたとき、主体が位置を持っている無限遠点で閉じられるのが等化側のψ5だとすれば、中和側のψ6は無限遠点で開かれる構造になります。
これは、ヌーソロジーでは、数学的には3次元球面と3次元双曲面と呼ばれるものの違いとして解釈されています。

図3 ψ5とψ6のアナロジー図
(DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)

ヌーソロジーでは、この次元観察子ψ5が描く空間が「自己」から広がる空間であり、次元観察子ψ6が描く空間が「他者」から広がる空間ということになります。
こうして、私たちの忘れられていた「身体」というものが見い出されることになります。それは単なる物質的な肉体のことではありません。「前」と「後」で述べるなら、そうして取り戻した、本当の意味での身体における「前」方向を回転させた球空間がψ5が描く空間、身体における「後」方向を回転させた球空間がψ6が描く空間ということになります。

図4 ψ5とψ6の球空間の描像
                    (DVD『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010 Vol.6』より)